近所のよく行く映画館ではやっていなかったので、少し遠出することに。その街自体、近々遊びに行きたいと思っていたところだったので良いタイミングだったのです。
そんなわけで向かったのは、吉祥寺。数年連続で「住みたい街ナンバーワン」に選ばれたという魅力あふれる街です。
高をくくってまともに位置確認をしなかったため、すっかり迷ってやや焦りつつも映画館に到着。無事にチケットを手に入れました。
螺巌編は、見事な総集編でありながら満足の新撮部分も多く、そして変わらぬ……いやそれ以上の感動を与えてくれる素晴らしい作品でした。たった2時間しかなかったとはとても思えないほど濃密な内容、甦るテレビシリーズの思い出と衝撃の新撮名乗り場面。名乗り場面(大切なことなので二回言いました)
紅蓮編ではなんといってもカミナの死に涙した私ですが、螺巌編で最も胸が詰まったのは、意外にも(失礼)キタンの死でした。
実はテレビシリーズで一番泣いたのも彼の死なんですよね。特に好きだったわけでもなく、むしろウザいなとすら思っていたのに。
そこでふと考えたのは、キタンの役割です。大グレン団にとってキタンはどんな存在だったのか。
大グレン団は元々、カミナの圧倒的なカリスマによって支えられたものでした。理屈抜きの信頼関係。カミナこそが絆だったのです。
ところがそんなカミナはあっさりと死んでしまいます。誰よりも信頼しあい、他の誰よりも強い絆で結ばれたシモンのために。
しかし、カミナの遺志を誰より受け継げる筈のシモンは、喪失感を受け入れられずに閉じこもります。彼がニアと出逢い、立ち直れるまでの間、大グレン団を支えた人物。それがキタンでした。
キタンにはカミナのようなカリスマも、シモンのような伸びしろ(すさまじい成長の可能性)もありません。すぐに兄貴風を吹かせるし、短気で頭も悪くて無鉄砲です。
乱世(たとえばロージェノムに闘いを挑んだとき)なら活躍できる乱暴者ですが、平和な時代には容易にアウトローとなってしまう人物。大グレン団のほとんどの人物がそれに当てはまると思いますが、その筆頭が彼だといえるでしょう。
そしてそのことを一度、ロージェノムを倒した後に最も痛感したのもまた、キタンなのです。だからこそ新たな危機の到来を前に、即座に武力をかき集めてシモンのもとに集結したのでしょう。
そしてあの一番のピンチに、キタンは誰よりもアイデンティティを見出した筈です。この闘いが終わり再び平和が訪れると、また自分はアウトローになる。しかもロシウのように政治を執り行うこともできない。いっそ昔のように放浪しても良いけれど、もはや敵もいない旅に自分の意義は見出せないかもしれない。妹たちは既に平穏な日常を手に入れていて、今さらそれを自分の都合で壊すこともできない。
でも今なら。誰よりもしがらみが多く、誰よりも大グレン団を愛していると言える自分なら。
このピンチを、抜け出せる。
そんな思いを感じた気がして、たまらなくなりました。
グレンラガンはそれぞれのキャラクターが本当に個性的で生きているようで、語られてないエピソードが感じ取れるほど「厚い」人生の層を感じさせます。
物語に必要なのはやはり「厚み」でしょうし、その厚みにはキャラクターの存在が必要不可欠です。
その意味でこの作品は、すさまじい厚みを感じさせるものでした。
キャラクターが確立し、作品に厚みができると、個々の台詞も確立していきます。いわゆる「名台詞」が増えると思うのです。
その名台詞が見る人の心を打つため、より一層、この映画は素晴らしいのだと。そう感じました。
ぐだぐだと長く書きすぎて意味が分からないのでこのあたりでおしまいにします。
とにかく。面白かったー!
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